また音楽が聴けなくなる日の宮台真司さんパートを読んで感じたこと。自由って2種類だと考えがち。
- 〇〇からの自由(積極的自由、囚われない自由)
- 〇〇への自由(積極的自由、意思して向かう自由)
この2つ。実際、アイアイザバーリンさんの自由論やエーリッヒフロムさんの自由からの闘争 ではこの2つの自由について語られているようです。
しかし、宮台さんはこの2つではなく、真の自由とは自由落下することだと説きます。これは、「この世ならぬすごい存在」に引きつけられ、自然と感染してしまうときこそ真の自由だというのです。宮台さんにとってこれは師匠の小室直樹さんと相対したときに起きたことのようです。他にも、お祭りとか、かつての渋谷の街に対してもそういう感染が起きたらしいです。
驚きました。コペ天でした(コペルニクス的展開を略した言葉。僕と高校生の友だちがだけが使っている言葉なので無視してくださいw)。自由落下って、加速度gかい!9.8m/s^2かい!
最近、人はどこまで自由なのかをよく考えます。アーティストって、無限にある可能性から自由に選んでいるんじゃなくて、降りかかってくる衝動から自由落下するように創っているんじゃないかって。
抑止力というラッパーも「自由へ」という歌で自由についてラップしています。
hook を引用します。
自由を目指す
俺たちは今夜 大海原
自由を目指す
ここには灯りはない
自由を目指す
未だ本当の仲間探している
自由を目指す
真実の灯りが見つかるまで
この詩の中で、目指している自由は、意思する自由だと思います。彼はどこにいるかもわからない仲間を孤独という絶望の中から探そうとします。さらに、絶望の中に微かに感じることのできる渦潮に引き寄せられているのがこの詩の語り手よような気がします。
引き寄せられた先に待っているのは希望なのでしょうか、それともさらなる深い闇だったのでしょうか。
〇〇
