思想のある音楽

先日、NWUの面々とSkypeで2時間くらいミーティングという名のおしゃべりしていました。もっぱら、コロナの話や音楽の話をしていました。中でも、好きな音楽・嫌いな音楽の話になって、ぶっちゃけ世の中の大半の音楽をDisっていたわけですが(w)、「僕らは思想のない音楽よりも思想のある音楽が好きだよね」ってことになりました。

その場の会話はそれで終わったのですが、一人で「そもそも思想ってなんだ?」って思い、何かヒントを探しに「音楽が聴けなくなる日」という本を読みました。

3章の宮台真司さんの文章で、でアートとエンターテインメントの違いについてこんなことが書かれていました。

  • エンターテインメントは気持ちよくさせる目的(社会の中にとどまる)
  • アートは観た後に修復不可能な”傷”をつける目的(社会の外に目が向けられ、観た後に変化が訪れる)
  • エンターテインメントは能動的に作られる (コントロール)
  • アートは受動的に作られる(パトス=降り掛かってくるもの、衝動、ヒュージョン)によって作られる

“アート”って言葉が正直苦手で、(なんとなく偉ぶっているきがする?w)から避けがちだったのですが、宮台さんの文章にはなるほどと、思いました。やっぱ好きな音楽って、自分のものの見方、生き方を変えてしまう。ある意味、暴力的といっていいのかもしれません。そして、尊敬している創作者の人はもしかしたら「創っている」という感覚ではなく、「創らされている」という感覚なのかな、と。

僕らのいう「思想のある音楽」がイコールで「アート」なのかなというとわからないところもあるんですが、重なる面は多そうです。もし、これから何か創ったり、創ったものに触れたりすることがあったら、「アートかエンターテインメントか」みたいな目線捉えてみてもおもしろいのかな、と思いました。

PS. Hisanori Ito くんの幼少期の心霊体験の話がすごく怖かったw